2019.08.25

ようやく久しぶりの備忘。というより日記。

 

===

「法々面」荻野僚介、椋本真理子

 

荻野僚介さんと椋本真理子さんの二人展を先日、国分寺switch pointで拝見しました。

展覧会タイトルは「法々面」と書いて、「のりのりめん」。

これは椋本さんが好きな法面(のりめん)という言葉(建設工学用語で、盛土などで人工的に作られた斜面のことを指す)からきているとのこと。

ある種の良い抽象絵画を見ると走り出したいような、体が自由になるような心持ちがするのですが、この展示にはそれがあって嬉しい日でした。

壁面には荻野さんの新旧交えたペインティングが5点、椋本さんの彫刻は床に大きな作品が3点と壁に小さな作品が1点展示されていて、いろんな角度からじっと見て楽しませていただきました。

 

椋本さんと二人展をやったら面白そう、

とポロっと荻野さんが発言したことから成り行きで決まったという展覧会と聞いていましたが、作家自身が自分と近い感覚に対して一番その嗅覚が鋭敏であるのは自明のことで。二人の作品はとても相性が良いように思いました。

どちらの作品も颯爽と気持ちの良いところが似ている。

それは形態のシンプルさや色遣いとその絶妙なバランスの構成によるもので(その絶妙なバランスには緊張感があるのに、どうしてこうも自由な気持ちにさせてくれるのだろうといつも思います)

また、紛れもなく共通するのは作品を構成する面が色面、単色で均一に塗られているということです。

 

ただ、単色の色面は奥行きを描かれずにあくまで個性を消した面であるにもかかわらず、

二人の作品の主題は奥行きとスケール感があるもののようで、

そのように掴みとれない大きなものが、作品として息をしないで単色の剥製や記号のようになって止まっているユーモラスな感覚が、

二人の作品を凝視するたびに愉快な気持ちになって立ち現れるように思いました。

これはやはり実物を見ないと感じられないので、

会期中に実際に見ていただくのが一番、と思います。

 

法面とは、山という概念を改めてなぞって、規律正しい人の手によって幾何学的な世界に成形され、

しかしあくまで自然物としての内奥があるという奇妙な存在。

画家が絵の具という物理的材料を使って世界を概念的にキャンバスの上に収める作業にも似ている、と言うと少し乱暴ですが、

二人の作品と通ずるところは多分にあるようで、

あくまでシンプルに構成、配置、成形された色面の作品たちのなかには

世界の理や神秘さ、というにはもっと沈黙しているような得体のしれない、

なにものかが横たわっているようにも思いました。

 

二人の共通するのは色面もそうですが、色遣いの妙もその一つで、

意味深気な怪しい色や激しい色、儚い色は使わず、

平明で質量があって、それはそれでも無機質な色味にはならない、ただ主張ははっきりとされているポップな色彩という、

絶妙な色彩感覚で二人とも制作されています。

だからこそ、劇的でもささやかすぎることもなく、ぬっと立ち現れたような面白さがある。

 

ただ、椋本さんの好きと言う法面が、

自然を補強する形としての人工的なソリッドで極限化された線と形の美しさ、

方眼的な座標軸が存在するような数学的に計算された世界と自然物との不可思議な状態なのだと仮定して、

荻野さんの作品の持つ不可思議さはまた別のところにあります。

絵という命題の中でのみ生まれる秩序ある絵、

重量計からカレーといった具象的なモチーフが出てくるかと思いきや

抽象的な雨粒の軌跡、リズミカルな色彩のコンポジションまで一律にその色面世界に描く荻野さん。

その描くという状況そのものが絵画的法面なのだと、だからこそ

おそらくなんでも描けてしまう恐ろしいような部分が荻野さんの作品にはあるのだと思う。

一方で、世界の中の概念的な律動のようなものを荻野さんは俎上に上げている、と言うと言い過ぎでしょうか。

いつも思うのは、平板な色面で構成されているようで

作品は決してグラフィックでなくあくまでも、描かれたという画家の手仕事であって、

キャンバスの際まで色面が塗られたその絵画に呼び込まれる度に、

自然ではなく人間の力が何かの神秘を呼び込む力があるとすれば、

それはとても不思議なことだなと繰り返し思い到ります。

 

人の力、

それが椋本さんの場合は、モチーフとする人工的な力が入り込んだ風景に当てはまるのとは反対に、

荻野さんの場合は、人の力とは何か超越的なものと繋がるためのメソッドなのかもしれないなと感じました。

 

しかし、法という言葉は

人間の生み出した規則から宗教的な教え、自然の理までに使われる幅の広い言葉ですが、

そのようなものを軽やかに「のりのり」とするお二人の姿勢がどうも居心地よく、

いつまでも作品を眺めていられるような心持ちでした。